開業歯科医として、ぶれない座標軸と先見性
2006年5月
追悼 片山恒夫先生
土居元良(東京都中央区開業・室町歯科医院)
片山恒夫先生は50数年前に歯周病は生活由来性疾患(生活習慣病)であると、看破されている。
歯周病の病因について、局所論、全身諭が大学間で論争されていた時代である。
開業歯科医として、患者の口腔内はもちろん、背景の生活全般にも目を向け、詳細に観察を積み重ねた結論であろう。
先生は生涯で70編以上の論文を発表されている。
歯科商業雑誌だけではなく、口腔衛生学会誌、日本歯槽膿漏学会誌等、学会誌にも多数投稿されている。
多くの論文で、病因除去、全身の抵抗力の向上の大切さを強調されている。
再燃再発を防ぎ、処置した歯を長持ちさせ、歯が抜けないようにするために、患者に病因と生活改善の必要性を自覚させ、治療参加させるさまざまな手法を考え出された。
テレビカメラが発売されると、すぐに位相差顕微鏡と一体化した装置を開発された。
いまでは、歯垢の実態を患者に知ってもらう装置として、歯科医院に広く普及している。
カラー写真が一般化すると、すぐに口腔内の記録をとり、治療効果を患者自身に確認してもらい、治療参加の意欲を高めるようにされた。
食生活の改善を促すためには、500ページに及ぶ W.A.ブライスの著書『食生活と身体の退化』を翻訳自費出版されている。
開業歯科医として、いまよりも何倍も忙しい診療をこなし、歯科技工もご自身でなされていた。
その治療レベルの高さと独創性は、歯周治療だけではなく、歯内療法、歯冠修復、欠損補綴についても、1981年から15年間、30回に及んだセミナーの参加者、のべ約5,000人の皆が驚嘆するものであった。
40数編の論文は、『開業顔料医の想い 片山恒夫論文集』(絶版)として、セミナーで供覧されたスライドは、『開業歯科医の想いⅡ 片山恒夫セミナー・スライド写真集』として出版されている。
治療目標をその人の健康回復と維持増進に据え、徹底した病因除去と患者の自覚、自助、自立の成果を20数年にわたり記録したスライド写真集は、歯科医座右の書である。
特に、健康歯肉の経年的変化を追った症例写真の数々は、世界にも類のない、貴重な記録である。口腔の健康は、全身の健康の源であるから、歯科医は健康指導医として、生活改善に努めるべきであると常々おっしゃっていた。
治療にあたっては、口腔内だけではなく、患者まるごと捉え、理解せよと諭されていた。
片山恒夫先生は社会の進展と疾病構造の変化を予見しておられた。
言葉の意味については、徹底的に追及され吟味を重ねておられた。
常人では、気がつかないことにも疑問をもち、とことん追求された。
イニシャルプレパレーションを“必須初動準備処置”、フィジオセラピーを“自然良能賦活療法”、メインテナンスを“療養”に翻訳されている。
納得する言葉の意味を探して10年をもかけて吟味した言葉もある。
戦後は北欧から歯科情報が入り、その後にはアメリカからの情報で話題になった知見が多数ある。
しかし、立ち消えになった話題もたくさんある。片山恒夫先生の治療の選択は、非常に慎重である。
その人にとって最善で、害のない処置を最優先していた。
その成果はスライド写真集にはっきりと示されている。
50年に及ぶ開業歯科医としてのぶれない座標軸と先見性は驚嘆に値する。
常に「歯科医療とは」と問い、歯科医としての責務を厳しくわれわれに問うた。
片山恒夫先生は美術工芸にも深い造詣があり、特にガラス工芸には詳しい。
勉強するきっかけを与えていただいた。
講演会の後に展覧会をご一緒して、見て回ったことが懐かしく思い出される。
ぶれない座標軸を堅持し、発展させる重い責務をわれわれは負っている。[片山恒夫先生は平成18年2月22日、95歳の天寿を全うされた。合掌。]
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○片山恒夫先生のご略歴
1910年生まれ。1933年大阪歯科医専(現:大歯大)卒。
大阪府豊中市に開業。
豊中保健所口腔衛生係長、大阪府歯科衛生士養成所長、豊中市民病院歯科部長などを歴任。
日本歯周病学会理事、評議員、口腔衛生学会評議員などを歴任。
○主な著作物
『歯無しにならない話』『歯槽膿漏―抜かずに治す』(朝日新聞社)
『開業歯科医の想いー片山恒夫論文集―』『開業歯科医の想いⅡー片山恒夫セミナースライド写真集―』(豊歯会刊行部)
『食生活と身体の退化―未開人の食事と近代食・その影響の比較研究―』(訳)(豊歯会刊行部)
歯界展望 Vol.107 No.5 2006-5